44E(2期生電気卒 昭島市在住) 井堀昭一

 

喜寿(77歳)を迎えて思うこと

 

満年齢で、父親は生まれ育った下毛郡三光村(現中津市)にて喜寿の数か月

前、母親は米寿の数か月前に亡くなった。父親の亡くなった喜寿を迎える

年齢となった。父は前立腺がんを患ったが、再発して骨に転移しているこ

とが判明し、最後は病院で肺炎にかかり亡くなった。今でも同様だが、高

齢者の肺炎は体力が落ちている時、なかなか治らない。私が50歳を過ぎの

頃である

 

父親は中国の重慶近くへ出兵したと話していた。食料が不足して、中国の民間人の家に

行き、食料を奪ったことがあるようです。あまり詳しい話は聞きだせなかった。恐らく軍

規で戦争中の話はしてはならないとことになっていたのだと思う。中国戦線から南方方面

への転戦がなかったので生きて帰れたものと思う。中国戦線から南方方面へ転戦していた

ら、恐らく戦死の可能性が非常に髙かった。終戦を迎えて、田舎に戻ってから小学校の同

級生の母親と結婚したとのこと。父親の親(爺さん)が熱心に息子の嫁に欲しいとしつこく

働きかけられたと母親が話していた。

私は子供の頃、母親にどうしてこんな田舎の農家に嫁にきて苦労することになったのか

、もっと便利のいいところの人は居なかったのかとぼやいたことが何度かあったことを思

い出す。

ある時は特攻隊員だった母の弟が大阪で事業をしており、働きに大阪へ来ないかとの話

もあったようだが、父親一人を残して、大阪には行けないとお断りした話があったことも

聞いている。今思えば、大阪に出ていれば、良かったのにと思う。そうすると私の人生も

大きく変わったかもしれない。

経済的に厳しい農家だったので、中津工業高校を卒業したら就職の予定であったが、公

立高校の入試より先に高専の入試があり、たまたま受かったので、大分高専に入学するこ

とになった。2つ下の弟は中津工業高校を卒業して同じ昭和44年に二人とも東京の会社へ

就職した。

昭和40年代前半から親を残して子供は東京・大阪方面へ就職するのがはやりのようにな

っていた。30から40代にかけて親が心配だから、田舎に戻る人も出ていた。弟から自分は

田舎に戻ることにしたと打ち明けられた時、本来は長男が戻るのが普通であったが弟に甘

えて頼んでしまった。弟は田舎に戻り、仕事の面では大変苦労したとのことで、私は弟に

は大変申し訳ないことをしたと今でも思っている。

生まれた実家はまだ解体されておらず、安い値段で、貸し出している。残念ながら田舎

に帰省しても、実家には宿泊できない。弟が中津駅近くの蛎瀬というところに家を建てて

住んでおり、弟宅に泊めてもらうか、ホテルを泊まるしかないのが田舎の状況である。

1980年代になってから、PCとワープロ専用機が出現してから、IT関係の急速な発達が社

会を大きく変革させるきっかけになったと思う。幸いにして、IT関係の仕事に関係してい

たので、PCの扱いは比較的慣れていると思っていたが、スマホ時代になってから、取り残

された感があるが、これからスマホの使い方を勉強しながら、認知症予防に繋げたい。フ

イルムカメラ時代にはフイルムや現像代を気にしていたが、デジカメやスマホのカメラ機

能向上で写真や動画はだれでも簡単で使える時代になり、贅沢な時代になったとつくづく

思う。

息子夫婦は昭島市の私のマンションに近い場所に住んでおり、老後の心配は特に無い状

態で、喜寿を迎えている。64歳で定年を迎えて、65歳からシルバー人材センター経由で

昭島市内の東中神駅前の駐輪場で10年間仕事をして、75歳で駐輪場の仕事は退職した。

定年後に関わった仕事以外の主な出来事は定年直前から、昭島市の市民大学という市が

主催する地元を知るプログラムに2年間参加、マンション管理組合の理事も3年間務めた

。現状は地元の老人会の会長を引き受けて5年目を迎えている。最近の傾向として、自治

会、町内会、老人会などの組織において、会長のなる方がいなくて、解散する事態が発生

しており、誠に残念な時代になったと憂慮している。時間的な束縛を受けて、自由な時間

がなくなるというのが原因ではないかと思う。会長に無理な負担がかからないような組織

にする必要があるが、ボランティア的な仕事になるので、「会長の発掘を早めに。」と口

で言うのは簡単だが、実践はなかなかむつかしいのが現状である。

関東支部の同窓会との関わりに関して補足すると、現役時代の50代に会社の景気が思

わしくない時期があり、希望退職の募集発生後、リストラ対策的な部門に配属され、そん

なに忙しくない時代があった。この時期に関東地区に母校同窓会支部がない。クラス会は

時々開催していたが、支部同窓会がないのは寂しいと考えて、支部同窓会の立ち上げを開

始した。

当初は1、2期生がメインであったが、次第に下級生の方へ支部同窓会の案内の発行、

大分の母校からも先生方に参加して頂き、同窓会本部の役員にも協力をお願いして、関東

支部が最初に立ち上げができた。立ち上げ当初、母校がロボコン全国大会にはなかなか出

場機会に恵まれず、応援を兼ねて全国大会の前日を支部同窓会開催日にすることで定着し

て来た。

時がたつにつれて、先生方も定年を迎え、新しい先生方に参加頂いた。新しい先生に参

加して頂かないと若い卒業生に参加してもらえない状況が続いた。2020年頃から新型コロ

ナが世界的に流行し始めて、人が集まることが難しい状況となった。2023年頃から規制は

解除されたが、いったん途切れてしまうと再開の連絡をしてもなかなか参加者が集まらな

い状況が続いているが、今後はより多くの方々が集まって、楽しい話ができる場になって

欲しいと願っている。